縫いとじられない赤い糸

小奇麗な言葉で曖昧にごまかすのにはほとほと疲れてしまったから。そろそろ本当の話を始めませんか。身もふたもない、本当の話を。

古いレコードを聴いていた(遠い空編)

「忘れない……」そう君は云ってくれた。
「あなたと過ごしてきた時間は、どれもみんな大切だから……」と。
けど、本当に忘れないでいることなんて出来るかい。
この先君は僕とはまったく違う種類の人たちと出逢い、たくさんの笑顔や涙を流すだろう。
そしたらきっと、もう僕のことなんか憶えてるはずもないさ。
イヤ、別に君を責めてるわけじゃないんだ。所詮、人間なんてそんなものだろ。
どんなに悲しい出来事があったってさ、夜、テレビを見てゲラゲラ笑ってるうちに、
昼間にあんなに悲しんでいた理由すら忘れてしまうだろ?
それに、僕らには本当に『大切』なものなんて何ひとつなかったじゃないか。
僕は君に心を隠し、君は僕に心を隠した。
一度でも本心で語り合ったことがあったか。
僕がどれだけ君を傷つけてきたか。どれだけ君を苦しめてきたか。
それなのに、君はいつも悲しそうな顔で笑うばかりで。
一度だって本心をぶつけてきてくれたことなんかなかったじゃないか。
そんな日々を、それでも君は『大切だった』と思えるのか?
この期に及んで、取り繕うのは止めにしないか。



君とはじめて出逢ったのは、枯れ葉の舞い落ちる12月の、風の冷たい夕暮れ時だった。
街はずれの街灯の下、震える躰を支えながら君は、遠くビルの向こうの空を、
いつまでもいつまでも探し続けていたよね。
儚げでどこか悲しそうで、触れたら壊れてしまいそうなほど凍りついた瞳をした君に、
僕は一瞬で釘づけになってしまったんだ。
しばらく黙ったまま君を見つめていると、
君は静かに僕の方を見て、やさしく微笑んでくれたよね。
どうしてこんな淋しいところにいるのかって僕が聞いたの、憶えてる? 
君はそっけなく、好きな場所だから、とだけ答えた。
それから、あのビルの向こうに何があるのか知りたい、とも。
行ってみようかって僕は誘ってみたけど、君は首を横にふったよね。
じゃあお茶でもしない? ここにずっといるのは寒いし、風邪ひいちゃうよって云って、
二人、近くの喫茶店に入って、珈琲一杯で閉店まで。
君はあまり話すほうじゃなかったけど、
僕のくだらない話には、顔を赤らめてよく笑ってくれたね。
沈黙でいると今にも二人、淋しいって口に出してしまいそうだったから。
いつまでもこの時間が続いてくれたらいいって、本気でそう思ってた。
君とずっと一緒にいたいって、離れたくないって思ったんだ。
その日のうちに、僕らは一緒に暮らし始めた。


一緒に暮らしはじめても、君はずっと謎めいたままだった。
どれだけ躰を重ね合わせても、どれだけ互いを求めあっても。
愛してるなんて、恥ずかしくてとても口に出しては云えなかったけれど
それでも僕は、君を愛していた。愛している、と思いたかった。
相変わらず君の瞳は凍りついたままで、ぼんやり考え事をしていることが度々あった。
君の態度はいつもとてもそっけなくて、冷たい人みたいだったけれど、
けど時々、何度も確かめるみたいに、僕に「愛してる」という言葉を云わせたがったりもした。
理由を聴いても、君はただ微笑むばかりで。
抱きしめようとすると君は、決まって僕の腕をスルリとかわしてしまう。
困惑する僕をよそに、君は一番のお気に入りのジャニスのレコードを聴きながら、
僕にはよくわからない話を、真面目な顔して話し始めるんだ。
僕にはなんだかそれが、これ以上私の中に入ってこないでと、そう云われているような気がして。
僕の淋しさはいよいよひどくなっていくばかりだった。
睡眠薬を常飲するようになった。
クスリを何錠飲んでも、眠れない夜が何日も続いた。
ひどい頭痛がして、些細なことが気になって仕方がなかった
いつしか僕は、イライラのはけ口に君に酷いことを平気でするようになっていた。
なんでもないことで君に当たり散らすようになった。
出したものを元のところに仕舞わないとか、炊いたごはんが少し柔らかめだったとか、
理由なんてなんでもよかった。ただ君を傷つけることでしか安心できない自分がいた。
最低だった。最低の気分だった。
でも、自分のせいだとは思わなかった。
あれもそれもどれもこれも、全部を君のせいにして、
君が僕をこんなに苦しめるんだ、君が僕をこんなふうにさせたんだって。
僕がどんなにひどい暴力を振るっても、どんなにひどい言葉で君を追いつめても
君は諦めたように、ただ静かに僕に微笑みかけるばかりで。
そうされるたびに僕は、どうしようもないダメな人間なんだって思い知らされるんだ。
弱くて、卑屈で臆病で、君にひどい暴力をふるって、ふるったあとは、
ひたすら君に強くしがみついて、もうしない、もうしないって云いながら、
ひとりにしないで、置いていかないでってメソメソ泣くばかりの、救いようのない人間であることを。
そんな目で見ないでくれないか。そんな顔しないでおくれよ。
君をこんなふうにしてしまう僕に、そんなふうにやさしく微笑んだりしないでよ。
本当は全部、君のせいなんかじゃないんだから。全部ぜんぶ、僕がダメなせいなんだから。
そんなふうに許したりなんかしないでよ。
ねえ頼むから、お願いだから。


ただ一緒にいたいだけだったのに。
それだけで十分だったはずなのに。
一体どこで間違えてしまったのだろう。
どこで歯車が噛み合わなくなってしまったのだろう。
凍りつくような君のその瞳を、いつか僕が解かしてあげたかった。
諦めたように笑う君に、いつか本当の笑顔を取り戻させてあげたかった。
でも本当はそうじゃなかった。
僕にそんな力なんてあるはずがなかったんだ。
僕のほうこそ本当は、君を必要としていたんだ。
溺れかかっていた僕を、君に助けてもらいたくて。救ってもらいたくて。


これ以上一緒にいたら、本当に君を壊してしまう。
だから今日で終わりにしよう。今日で最後にしよう。
最後の最後まで、僕に気なんか使わなくたっていいからさ。
君と幸せになりたかった。信じてほしい、それだけは嘘じゃない。嘘じゃない。
もっとずっと早くに、こんな風に素直に云えていたら、
もっと違う人生が、二人にはあったのかもしれないけど、
今更そんなことを云ってみたところで、何もかもがもう手遅れになってしまった。
おかしいね、おかしいよなホント。笑っちゃうくらい、バカみたいホント。
僕のことなんてきっと、すぐに忘れられるさ。
忘れてくれたほうがいいんだ。そうしてくれたほうが。
君の中で綺麗な思い出になっていくのは、あまりに辛すぎるから。
いままで一緒にいてくれてありがとう。
ひどいことばかりして、本当にごめんなさい。
......僕が云う台詞じゃないかもしれないけれど、
どうか、どうかしあわせになってください。
君が探していたあのビルの向こうの空が、いつか見つかることを、
心の底から祈っています。
さようなら、愛しき人よ。
さようなら、僕の恋人。







テーマ: - ジャンル:小説・文学

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